阪神・淡路大震災から15年
ドラマ「神戸新聞の7日間」
あの日の惨事がよみがえる。胸が閉めつけられる思いでドラマを見ました。 神戸の人たちにとっては忌まわしいできごとではあったが、忘れてはならない、風化してはならない過去です。
早朝、悪魔は突然やってきた。 地面から突き上げてくる振動、ハンモックで寝ていて縦に揺すられる。いや、まさしく突き上げられる感じがして家屋が崩壊したと思いました。 当時 私は加古川(神戸より50㎞西)に住んでいた為、自宅は倒壊にはならずライフラインも生きていました。
ドラマ中にたびたび言われていた「情報」が知り得たのです。会社が三宮で、神戸新聞社本社ビルの前を毎日歩いて通勤していました。
自宅のテレビで惨状を目の当たりにして、これは「あかん」と感じ部下5名に電話を入れました。早く安否確認せんととんでも無いことになる。 一番心配だったのが新長田に住んでいる部下でした。 早かったので電話が通じました。
私「大丈夫か、西村」
西「係長!家の中むちゃくちゃで午前中・・出社できません。 午後から行きます」
私「アホ・・それどころや無い。停電でお前はわからんやろけど、高速道路、鉄道、
ビルが崩壊 全滅や。 新長田の商店街が火の海や。 ラジオ、懐中電灯あるか?
火の手がせまるかもわからん十分気をつけや。 家族はだいじょうぶか」
西「みんな大丈夫です。 まわりのことなんにもわかりません・・・・なんとか頑張りま
す。・・・・・・」
私「とりあえず、オレは加古川支社に行って考えるから・・又連絡する。」
5名の部下の安否は確認して、本人、ご家族は無事で幸いでした。被災地では何も解らない・・何をしたらいいのか・・ただ呆然とするしかない。 「情報」が欠落してしまっている。 現にその後部下とは連絡(回線パンク)がつながらず、情報を提供できなかった。
「情報の伝達」が出来なくなった私達。 毎日、ポリバケツに水を入れ裏六甲を越え瓦礫と化した都市に行き ボロボロになったキャノピー(三輪バイク)で社員の安否確認で一人一人を探したのです。 電気なし、回線なし、当時携帯電話なし、身の危険あり、の中で「情報」を探しまわる。
「情報」と言えばこんなことがありました。 震災3日後、2号線南にあるガスタンク二機が大爆発する恐れあり、北に非難要請が出たのです。 自衛隊、警官等により南立ち入り禁止 人々は北へと毛布にくるまり当ても無く歩いていました。 誰が言ったのか、まったくの誤報だったのです。
あるアメリカ映画で全土が寒冷となり、図書館に非難していた人々が吹雪の中南に向かい窮地を脱しようと試みたが全員凍死した物語を思い出した。
今回、惨事にはつながらなかったが 「情報」の正否の判断ができない。 今にして思えば、迷える子羊同然だったでしょう。
あれから15年、神戸は復活し発展しています。 「神戸新聞の7日間」の終盤で復興するのに20年いや30年かかるかも知れんと言っていました。 あの時は、誰もがこんなに早く復興できるとは思ってもいなかったでしょう。
情報提供にご尽力いただいた方々、いち早く明るい記事で希望を届けてくださった方々に感謝いたします。 又、震災犠牲死者 約6500名のご冥福をお祈りいたします。
「神は、乗り越えられない試練を与えない」(ドラマ JINより)


