懐かしい昭和
「鉄人28号で昭和にプレイバック」
鉄人28号を見て昭和30年代を思い浮かべました。 私は、昭和32年生まれです。 団塊の世代より少し若く、学生運動、安保闘争の経験もありません。 幼少の昭和30年代は、平穏な時代でした。
ちょっと、昭和30年代に戻ってみましょう。
・南極大陸に昭和基地設置
西オングル島に日の丸が揚げられました。明治45年に日本人が南極に初陸し
45年ぶりに 隊員11名、犬19頭、猫1匹、カナリア2羽越冬しました。
・新硬貨(100円)、新紙幣(5000円)が発行
新百円銀貨は、地方では紙幣が喜ばれたためあまり浸透しなかったようです新 五千円札は、表に聖徳太子、裏に日本銀行が描かれ透かしが入り偽造防止をはかったようです。 当時、大卒の初任給は12000~13000円だったようです。
子ども心に100円は大金、5千円など触ったこともなし、もっぱら1,5,10円硬貨でした。
・テレビのカラー放送
NHK,日本放送が、30~1時間のカラー実験放送を始める。電化製品の花形といえば、洗濯機・冷蔵庫・テレビでした。 物心がつく時分には、3つともあったように思います。 テレビは近所でもっとも早く、毎晩のように近隣人が集まり、社交場状態でした。
上図の写真によく似ているのですが、我が家のテレビはダイヤル式のチャンネルではなく、プッシュ式ボタンでした。1~12のボタンがあり、映りが悪い時は爪楊枝を隙間に入れグリグリ 接触復活鑑賞再開。
夕食中に、近所のおっちゃんがふらり
「風呂よばれてから、三橋美智也、美空ひばりの歌謡ショウ見せてや、酒はもってきたから」。 炊事はガスだったが、風呂は薪のゴエモン風呂タイル張り、冬はとってもサブ~イ。 追い炊きの仕事は私の仕事だった。 「ぬるい」と言われれば カマドに行き薪をくべる日々。 近所のおっちゃんの為に、夕食、マンガを中断して風呂を沸かす。
ある日、頭にきた私は 沸騰したやかんを風呂にぶちまけた。入っていたおっちゃんは目を白黒させ
「熱い! やけどするがな」
「風呂は自分家で入ってきたらええがな、マンガの時間にこんといてか」
「ボウズ、そんなに怒るな。わしん家は風呂もない。銭湯通いや。 今度、ローマ(喫茶店名)でフルーツパッフェおごったる」
「おっちゃん ええ人やな、毎日来てもええで」
「現金なやっちゃな」
お風呂だけにわだかまりは流されたのでした。
テレビを観ている人、端で花札をして自分の番組まで待っている人、野球談義に花を咲かせている人、紅白時は立って観ている人までいて大盛況、我が家は娯楽室化していました。
親父はプロレスの大ファンだった。近所の人達も大好きだった。それで、白黒テレビを買うのが早かったのだろう。 興奮すると、食事が止まり、拳を振り上げる。 醤油、味噌汁こぼす。 私は、プロレスが嫌いでした。何故なら、「あしたのジョー」が観れないのです。 悔しかった。
白黒は早かったが、カラーテレビは一番遅かった。当時、すべてがカラー放送ではなく 番組欄に小さくカラーと書かれていました。 CMも白黒・カラーが混在して流れていました。
テレビは画期的、斬新な商品だと思います。
・原則的に無料である。
・全国に配信可能。
・ワンタッチで観ることが可能。(インターネットのような機材が要らない)
・一台で複数の人達が楽しめる。(新聞、雑誌は個人単位)
今までになっかた商品の登場だったと思います。 氷で冷蔵庫がわり、たらいと洗剤で洗濯機がわり、じゃ 何でテレビがわりかな?
今後も、想像もつかない製品が出現するだろうか? 肉、じゃがいも、玉ねぎ、人参、ルーを入れるとカレーが出現・・・カッターシャツをマネキンにセットすると、スチームアイロン パリッと仕上がり。 夢は広がり・・・・。
今回はこのへんで・・・次回も昭和を懐古してみます。
